鏡餅
以前は大きなかまどで餅米を蒸し、お檀家様と鏡餅を作られた風習がありましたが近年は難しくなっています。またお供えされた鏡餅を開くことも大変な作業です。従来のお餅によく似た樹脂製の鏡餅をご用意いたしました。一般的な二段重ねの白色と紅白の鏡餅、真宗大谷派(東本願寺)向きの鏡餅をご用意いたしました。サイズは大・中・小の3種類。小ぶりなミニタイプもございます。 鏡餅の底面には奉納のお米が収められます。
お餅の歴史について
お餅は米作とともに伝来し、縄文時代には食べられていたと言われています。当時は赤色の米「赤米」を原料にした赤いお餅を食べていましたが、奈良時代に編纂された「豊後国風土記」(713年)の一説に白色のお餅の話が出てきます。この頃になると白米が各地で耕作され白いお餅を作られていたことが判ります。白色は神聖な色とされ、白色のお餅を食べることで神様が自分の身体に移り、元気・気力が再生される考えられていたそうです。
鏡餅について
お餅は神様と人間を繋ぐ物としてお供えされました。供えるお餅は神様の「依り代(よりしろ)」とされ、神様の居場所と考えられています。一般的に節分は立春の前日を指しますが、本来は立春・立夏・立秋・立冬の年4回とされていました。また神事(お餅をお供えする行事)も同様に沢山ありました。神社では今も伝承されていますが、一般家庭では新年の鏡餅をお供えすることだけが残りました。鏡餅の意味は新年にお餅を供えることで、神様から新年への気力をいただく事とされています。
鏡餅が丸いのは諸説があり、その一つ目が心臓の形を表したと言う説です。人の魂が宿る心臓を神聖な白いお餅に見立てました。二つ目は三種の神器「八咫鏡(やたのかがみ)」に似せたと言う説です。鏡には神が宿ると考えられその丸い形を象ったということです。一般的にはこちらの説が多く使われているようです。
鏡餅を二重にする理由の一つに太陽と月、陽と陰を表していると言われています。一般的な鏡餅は下のお餅が大きく、上のお餅が小さくなっていますが、真宗大谷派(東本願寺)では同じ直径のお餅を重ねて使用されます。鏡開きは年明け1月11日(松の内が15日の地域は15日に行われます)に行われます。鏡開きはお供えしたお餅を開いて細かくして食べ尽くし、神様を送りだすという神事の一つです。また「割る」は縁起が悪いので「開く」が使われます。お年玉は神様が宿ったお餅を家長が家族に渡したことが本来の形で、お年玉は「御年魂」と書くこともあるそうです。
古代米について
お餅は東南アジアより米作の伝来とともに日本に伝わりました。現在のお米と違い色は赤く、東南アジアの野生種に近い種類になります。赤米は環境変化に強いため、原産地の暑い気候から寒く日差しの弱い日本の環境に適応しました。白米より育てやすく収穫量も多いため、山間部の米作に不向きの土地でも栽培できたことが広く各地に伝播した理由のようです。赤米は各地の神社の神田(しんでん)でも栽培されました。神道の考え方と赤米の栽培、儀式作法が各地に伝わり、お餅や赤飯が各地に作られるようになったと言われています。仏前備える仏飯は大きく高く盛りますが、盛糟(もっそう)と言うご飯を押し固めめ道具を使用します。赤米は白米に比べて粘り気がないため盛糟を使ってご飯を固め、お供えやお客様のもてなしに使われました。赤米から白米にお米が替わっても、盛糟を使用してご飯を固める慣習は現在にも残っています。

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